昌平君の呂不韋(秦)裏切り理由は楚国のため?生い立ちから徹底考察!

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キングダムで、長髪・男前キャラクターで読者から絶大な人気を誇る昌平君。

彼は、秦国で権力を振るう呂不韋の四柱の一人であり、主に軍事面での頭脳として活躍した実在の人物です。

昌平君は、楚国の公子でありながら史実上では秦国の丞相まで上り詰め、秦国総司令官という地位で活躍。

武力も中華最強と並ぶ実力を誇り、のみならず軍略にも優れる軍人でした。

さらに自己資産で私立の軍師学校を自ら設立して、その明晰な頭脳を多くの軍師を育てることに使いました。

蒙毅(もうき)や河了貂(かりょうてん)の師匠というわけです。

飛信隊の勝利は、河了貂のあっての勝利ですから、信にとっても重要人物です。

非常に人望の厚い人物だったのではないでしょうか。

そんな昌平君は、まず恩人呂不韋を裏切り政陣営に寝返り、最終的には楚国の王として、秦国を裏切り戦いを挑みます。

美しいルックスに宿る影は彼の複雑な生い立ちにきっと関係しているはずです!

そんな文武両道イケメンキャラの昌平君が、なぜ秦国を裏切る結末を迎えるのか?

昌平君の生い立ちを含めて、紐解いていきましょう。

 

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昌平君の呂不韋(秦)裏切り理由は楚国のため?

元商人で多大な才能を振るい秦の実権を手に入れた呂不韋。

呂不韋は政の最大のライバルとして、政の秦国統一の大きな壁として立ちはだかります。

昌平君は、呂不韋の軍事担当で呂氏四柱と呼ばれ、政の敵の一人でした。

しかしながら、秦国最強の軍略家と名高い昌平君は、呂不韋を裏切り政側に寝返ります。

裏切った理由が気になってきたところで、1つずつ紐解いていきましょうか。

 

なぜ、昌平君は呂不韋を裏切ったのか?

外国の公子である昌平君が国の最高ポストに就けたのは、呂不韋の後ろ楯のお陰であり、呂不韋は昌平君の恩人と言えます。

では、なぜ昌平君は呂不韋を裏切ったのか?

それは、昌平君にとっても中華統一が大きな夢だったからと推察されます。

合従軍戦の最後の戦いである南道の戦いにて、呂不韋が趙に寝返ろうと画策する時に、昌平君は蕞(さい)への大王出陣に賛成し、愛弟子を二人蕞へ送りました。

もちろん、政に加担した昌平君に呂不韋はご立腹です。

自分に対する謀叛だと、昌平君に詰め寄る呂不韋に一言。

「取るに足らぬ小言です。」と言い放ちます。

カッコ良すぎて、痺れますね!

政から王位をどうにかして奪いたい呂不韋の謀叛と策略より、国の未来の方が大事。

軍人らしい思考と感じられます。

 

昌平君は呂不韋と相反していた?!

さらに、政加冠の儀で皇太后が反乱を起こした毐国の乱で完全に呂不韋と決別します。

実はこの毐国の反乱も呂不韋の策略で、見てみぬフリを決め込む呂不韋。

この謀叛の情報を、昌平君は河了貂にいち早く伝え、政陣営に完全に寝返り反乱を制圧しました。

「世話になった」

加冠の儀で、昌平君が恩人呂不韋に最後に放ったセリフです。

元商人の呂不韋は、策略や人脈を駆使して丞相までのしあがった成り上がりです。

「財の力で中華を統一する」

これが呂不韋の根本思想です。

それに対し、政は何度も「武力を持って中華を統一する」と唱い、自ら文官武官共に士気を高め戦で勝利を治めてきました。

実際に戦場に立ち、秦の勝利に立ち会ってきた昌平君にとって、政の活躍は彼の理想とする中華統一の形に映ったのかもしれません。

 

政の下で秦の中華統一を目指す昌平君

昌平君は政に対して「現秦王は夢を預けるに足る器の王」と口にしています。

中華統一は昌平君の夢でもあり、政はその夢を叶える王と確信したのでしょう。

加冠の儀で呂不韋と袂を分かつことを決断しました。

これから政の右腕となって、秦国の中華統一に貢献しました、めでたしめでたし。

とはいきません!

史実上、昌平君はまもなく秦国を裏切り、楚王として秦と戦うこととなるのです。

 

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昌平君の生い立ちから徹底考察!

王翦・蒙武軍に壊滅的打撃を与えられた楚。

そんな絶体絶命の楚国で、昌平君は王に君臨して秦を迎え撃ち国の立て直しを謀ります。

なぜ、聡明な昌平君がそんな劣勢国の王となったのか?

昌平君の生い立ちから考えてみましょう。

 

昌平君の悲しい生い立ち

昌平君は秦で生まれ育った、楚の王族です。

歴史は少し遡り、紀元前278年、楚は秦の名将の手により首都郢(えい)を落とされてしまいました。

郢を落とされた楚は、春申君を派遣し、秦国王照王に同盟を申し立てます。

そのとき、人質として送られたのが後の考烈王となる太子(王の世継ぎとなる子供)完でした。

人質完と秦国王照王の娘の間にできた子が昌平君と言われています。

その後、凄腕武官春臣君の策略で秦をあざむき、完だけが救出され楚に帰国します。

そして、楚王が死に、完は楚国で考烈王となるわけです。

しかし、秦で生まれた昌平君はそのまま残され、秦で育つことになってしました。

この話は史実上ですが、キングダムでは考烈王に子供は居なかったと描かれています。

王族の子供という繋がりを隠さなければならない大人の事情もあるかと思われます。

この辺りはキングダムでの表現はどうなるのか見物です。

 

昌平君が選んだ道とは?

趙を滅亡させ、いよいよ最後の大国楚と戦を起こす秦国。

中華統一も目前となりました。

一時は秦が優勢になるも、信と蒙恬が率いる軍が名将項燕の策略にはまり、秦国の歴史に残る大敗退をしてしまいます。

この時、昌平君は王翦の策を外すべきではなかったと、政を厳しく言及しました。

史実では、政の怒りを買い、丞相を罷免され流刑に処されます。

キングダムでは、流刑までの流れをどう描かれるでしょうか?

その後、結果的には昌平君が推していた王翦の策を用いて王翦・蒙武軍が楚に再度攻め入り、王負芻が捕らわれ死亡したことで、事実上楚国は滅亡してしまいます。

生き残った将軍項燕は、流刑された楚王の血を継ぐ昌平君に白羽の矢を立て、昌平君を楚王として君臨させ、楚国の再建を謀ります。

楚の復活を賭けた最後の策だったかもしれません。

 

昌平君の最期

史実では、昌平君率いる楚国が一度は信を破り、秦国の弱体化に成功するも、王翦・蒙武軍に攻め入られ、昌平君は殺害されます。

その後項燕は自害し、秦の中華統一が達成されるのが歴史上のストーリーです。

ここからは筆者の予想と考察です。

あの頭脳明晰な昌平君が、項燕の依頼だけで王になることはあるのでしょうか?

本当は随分前からこの計画を立てていたことはないでしょうか?

「本来人の下につくような人間ではない。」

呂不韋の言葉は正しかったのではないでしょうか?

まず、毐国の乱で権力争いから呂不韋を引きずり下ろすことに成功し、秦国で揺るがない地位を築きます。

これは政の下につくという意味ではなく、呂不韋に代わって秦国を狙い自ら中華統一を目指すと考えられなくもありません。

そして、野心メラメラの王翦と影で結託し、王翦の策を推すも政と対立してしまい、流刑に。

さらにまだ野心の灯を消していない昌平君と項燕の利害が一致し、秦の前に敵国王として立ちはだかった、という考察はいかがでしょう?

キングダムで、昌平君の心の動きをどう描くのか?

非常に楽しみです!

 

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まとめ

ルックスよし!文武両道!非の打ち所のない昌平君の衝撃的な裏切り行為について、彼の生い立ちから考察してみました。

いかがでしたでしょうか?

おそらく、秦国最後にして最強の敵が楚王昌平君だった!という結末を予想します。

筆者は呂不韋の四柱が出てきたときから、一人だけイケメンに描かれている昌平君が気になっていたことを思い出しました。

すでにその時から伏線は引かれていたのかもしれません。

優れた軍師であり、武人であり、政に夢を託し秦国を支えながらも、常に楚国の血を感じて生きていたのかもしれません。

それとも自分の中の夢と才能を、呂不韋の言葉通り胸に刻みながら虎視眈々と生きていたのかもしれません。

また、昌平君と幼いときから競い合っていたとされる蒙武との決戦の描写にも注目したいところです。

王翦・蒙武軍に攻め入られ死亡しました、では終われません!

過去に、中華最強を目指す蒙武と常にライバルとして相対していたという描写もありました。

剣で交わす男の友情と因縁の対決を、ぜひとも一騎討ちで描いて欲しいと思います。

いつから、昌平君が秦国への裏切りを考えるようになっていたのか?

更にいつから、何手先を読んで計画していたのか?

常に冷静沈着な昌平君のそんな内面的心理描写もキングダムでは描かれることを期待しましょう。

昌平君の複雑な生い立ちから読み解く昌平君の裏切り。

盛り上がりしか感じない昌平君率いる楚国vs秦国の戦いは、キングダムでの最終決戦としてふさわしい戦いになることでしょう。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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